本殿は入母屋造(いりもやづくり)平入(ひらいり)の銅板葺で、桁行(けらゆき)3間(けん)、梁間(はりま)2間の構造です。正面には千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)の向拝(こうはい)を備えます。
元和8(1612)年に炎上後、寛永元年(1642)年に広島藩主・浅野長晟(あさのながあきら)により再建。宝暦2(1752)年に再度焼失し、同9(1759)年に現在の本殿が建立されました。
拝殿は入母屋造平入の銅板葺、桁行・梁間とも3間の構造です。正面には千鳥破風と軒唐破風付きの向拝(こうはい)が設けられています。万治2年(1659)に建立されました。
ここでは神前での祈祷が執り行われ、参拝者は厳かで神聖な時間を体感できます。
神功皇后西征のみぎり、当地に上陸され出迎えた村長の木梨真人が、この井水を汲んで献上したと伝わります。そのため、この井は「御調の井戸」、または「御調井」と呼ばれています。
御調郡という、かつて広島県東部にあった郡の地名は、この伝承に因んだものです。
境内に御神木の大楠がそびえます。昭和37(1962)年に三原市の天然記念物に指定されました。
大楠の足元には説明板があり「樹齢約500年、樹高30m、樹囲13m」とありますが、この説明文は天然記念物指定を受けた当時のものです。
令和7年現在、樹齢約600年とされ、樹囲は14.5mです。この樹囲は広島県最大、中国地方で3番目です。
近年はパワースポットとして知られ、定期的に参拝してパワーを補充していかれる方々を多数お見受けします。
この大楠には伝説があり、日没後、右回り8周で「おらび船」が現れ夜の沖へ連れ去られ、左回り8周で「宝船」が来ると言い伝えられています。
明治8(1875)年に三原城内の侍屋敷門が移築されました。三原城の数少ない現存遺構です。昭和54(1979)年に三原市重要文化財に指定されています。
三間一戸(さんげんいっこ)切妻造(きりづまづくり)本瓦葺の四脚門(しきゃくもん)という建築様式は、当時の技術と美意識を伝える地域の重要な歴史遺産です。
祈祷参集殿は、参拝者の神事・祈祷の場であり、地域の行事や催し物にも活用され、神社と地域社会を結びます。
特に秋の大祭では、神楽奉納や催事の会場となり、神社の伝統と地域文化が融合する交流の拠点です。